2011年9月29日木曜日

うず



うず

ぐるぐる
うずうず

うずまき

遠心力だったり
求心力だったり

今、こころは

行為を越え
法則性を越え

理性に関わらないところで
本能から外れたところで

うごき

変化していく

確かななにかと連動している感覚だけが
根拠なくわきあがる自信のみなもとであり

すべて....

今の瞬間のうずに
ただ
ただ
身をまかせる

そして
次のうずの瞬間に持ち越さない

荷物は少なければ少ないほど
みなもととのつながりをクリアにする

きのうまでの自分が得た心地良いフィーリングを
固定化したり
枠付けすることなく

ふんわりした輪郭でこころにまとい

今日また
新たなうずをまねきいれよう

〜☆〜☆〜☆〜☆〜

おはようございます

今日も気持ちの良い滑り出しです♪
今は「美しい海ありがとうウォーク」のスタート地点、国東半島の伊美別宮社に向かっている途中〜。

携帯から初アップ、うまくいくかな?
具体的な写真日記は追々書きたいと思います。。。

2011年9月24日土曜日

美しい世界

8月始め、これからブログアップをマメにしよう!と固く誓った決意は見事に吹き飛んでいました。が、さっき、地球をゆっくり一周して、無事帰ってきました。我ながら自分の「健忘力」に驚きます。

空白のここ半月でも、いろんな人が来て、いろんなところに行き、いろんな話やパフォーマンスを見聞きする機会に恵まれ、また、今後参加予定のいろんなイベント情報など書きたいと思うことは山積みなのですが、8月末に気づいてから今まで、わたしの中でまぶしく輝き続けているひとつの感覚を書いておこうと思います。

~☆~☆~☆~


8月末のある日、運転しながらCDを聴いていると、あれ?なんか変な感じ。。。それは何度となく聴いているケルト音楽だったのだけれど、聞き覚えのない楽器の音を感じるというか、例えれば、一番しか聞いたことのない曲の二番を初めて聞いた時のような。。確実な違和感を感じました。
あれ~???と思って他の曲を聴いても、CDを他の洋楽にかえても続く、同じ感覚。。。よくよくそれに集中してみると、英語がはっきり聴き取れていたのです(意味はわからずとも)

これで思い当たることはひとつ。

この前に紹介したスピリチュアルなご一行さまがうちに来た時、大分を案内した2日間はわたしの車の助手席には日本語を話せないオランダ人のハンスが乗り、否が応でも英語でコミュニケーションをとらなければいけない状況にありました。
結局、難しい話は出来なくて話が暗礁に乗り上げると、「後でナオミさん(レイの奥さん)に通訳してもらおう」という事で終了し、その繰り返しだったのですが。

この不思議な感覚は、この英語に集中した2日間の次の日の出来事でした。

ハンスに対して、英語に対して、心をひらいていた2日間。
時間じゃないんだなぁ。脳は確実に変化しました。

開かれてわかるのは、「閉じていた」ということです。

閉じていることが当たり前になっている間はそれには気づくことはできません。

すべてについて当てはまること。

今年の夏、わたしはスイカを食べる時、種も一緒に食べるよ
うにしました。単に「種には素晴らしい栄養があるよ」と友達から聞き、その友達もバリバリ食べているということだったからです。
それまでのわたしは、スイカの種を食べる前に丁寧に取り除き、見逃した種を口にいれてしまいバリっと噛んだ日には、まだ残っていたか~、とうらめしく思うほどだったのだけど、今年の夏は違いました。
実も種も丸ごと美味しく頂く。。。種を排除し、さらにその種がまだ残ってないか心配していた時とは心の軽さが全然違います。なんのかげりもありません。

蚊に対してもそう。
わたしはどんな虫も平気だけど蚊にさされる事に対しては神経質で、部屋の中に蚊が入ってくるとピリピリ。。。そんな時、ハンスは「蚊は友達」と言ってのけました(@_@)
そんなハンスは刺されている様子もない。
刺されても刺されなくてもかまわない、そんな穏やかな状態をキープしていました。
それを見習って、わたしもすこーし、蚊に対して心をひらくようになりました。

ほんの短い時間だったけれど、ハンスの姿勢から学ぶ事は沢山ありました。そして、後になってからも気づく事がさらにあります。レイのチャネリングによると、過去生で、ハンスはわたしの先生だったと教えてくれたのですが、そうだと思います。何の先生か聞きそびれたけど、きっと人生の師匠かな。

ハンスは、子供も大人も誰に対しても「美しい」「美しい魂」と、褒め称えます。
そして、国東半島をドライブしている間も、緑の濃い景色に「美しい」とつぶやいていました。
今いる場所に対して、心をひらく。
日本に、世界に対して、心をひらく。
人に、自分に対して、心をひらく。

すべてに対して、心をひらいた状態。。。

ただ、それだけ、それを選択するだけ。それを選ぶのは自分の意思です。

宇宙の摂理にかなった状態でちゃ~んとひらけた時、まるで魔法にかかったかと思うくらい新しい回路、もしくは使われなくなっていた回路が機能し始め、自分をとりまく世界ががらっと変わるはず。でも変わるのは世界の方ではなく、きっと自分の見え方、感じ方。

そんな事を想像するだけで心は拡大し、わくわく。。。
と、まあ、目下、わたしは今そんな風に過ごしています(^v^)


追伸。。残念ながら英語の魔法はとけたようだけど、あの感覚を忘れないようにしよう、とモチベーションだけはあがってます☆

2011年9月7日水曜日

おと。。

先週の台風の時。。。


はげしい雨のおとを聴きながら寝ていたら

からだ中の細胞が

雨をうけてどんどん細かくほどけて

大地とばらばらになったからだをくっつけて

さらに

土の中にばらばらになったからだがとけて

ひとつになっていく。。。

そんなイメージが浮かんだ


また

強く吹くかぜをかんじてみると

からだの中に空気がいっぱいはいってきて

からだがかわいて軽くなり

細胞ひとつひとつをぱらぱらとほどいて

空中にふきあげ

天高くまいあがる

そんなイメージが浮かんだ


そして、きのう

毛布が心地良くかんじるくらいすずしい中

虫の声を聴きながら寝床につくと

鳴き声が夏にくらべてやさしくまあるくなっていて

からだ中がやさしさ、あたたかさ、よろこびで

まゆのようにふわっとつつまれて

しあわせな気持ちで眠りにつきました。


みず、かぜ、つち。。。あ、あと、きっと干したてのおふとんで寝たら火もおぎなえるかな。

外に広がる世界、内に在る世界、つねに寄りそい、同調して生きていたい。


2011年9月6日火曜日

田舎暮らしの本 10月号

勢いづいて、本日4回目のブログアップです!

今発売中の「田舎暮らしの本の10月号」に、載りました。

30代、40代「おひとりさま」の田舎暮らしのページの2人目です。
お店「天土のおと」(http://www.amatuchi-no-oto.com)を取り上げてくれると思いきや、なんだかわたしの事の紹介がメインで気はずかしいのですが。。

最近共に活動している、国東源帰(http://kunisakigenki.blogspot.com/)の紹介もちょこっとしてもらえました。

本屋に立ち寄った際にはのぞいてみてください☆感想よろしくです(^u^)

アースディくにさきin古代まつり

4日(日曜日)弥生のムラでアースデイくにさきと古代まつりのコラボイベントが開かれました。

「天土のおと」は、弥生式の高床式倉庫でアロママッサージで参加させてもらいました。弥生の家を体験するというイベントの趣向で、なんと15分の無料体験!なので、朝の内にあっという間に予約でいっぱいになってしまいました。
ありがとうございました♪

 この丸太がなんと階段。ベットを運ぶのに一苦労。。

お天気にも恵まれ、日差しが強い一日でしたが、高床式倉庫は、お米の収納庫だけあって、下からもめいっぱい風が吹き込み、日差しは分厚い藁ぶき屋根が拡散してくれて、とっても快適で心地が良かったです。

国東源帰(http://kunisakigenki.blogspot.com/)の仲間たちも、天然酵母パン「やーやまや」や、里カフェ「百種(ももくさ)」のヘルシードリンク、「マナの壺」のヨガパンツ、「香々地カフェ」の雑貨など、ほっこり、のんびり出店していて、楽しい一日でした。



そして、日も暮れる頃。。
喜納昌吉さんのライブ♪知らなかったんだけど、パワフルで元気をくれる素朴なおじさんでした。



そして、ゲストハウスをしている「マナの壺」のまなちゃんちで美味しくって心に染みいるごはんを頂きました。あわてて食べて写真を撮るのを忘れてしまったけど、かぼちゃコロッケ、かぼちゃサラダ、タケノコのかきあげ天、なすの梅炒め、ゴーヤの味噌炒め、焼こんにゃく、味噌汁などなど、畑で取れた野菜盛りだくさん!
とっても美味しく、楽しい夜でした。まなちゃん、どうもありがとう!

そして、イベント準備、開催してくれた皆さま、どうもありがとうございました!

「幸せの経済学」「懐かしい未来」を見て

2日は、国東半島の中心的お寺「両子寺」にて、『幸せの経済学』を、3日は、アースディくにさきin古代まつりの前夜祭として、「弥生のムラ」で、『懐かしい未来』を見てきました。どちらも、チベットのラダックの人々を取り上げ、彼らに急激に近代化、西洋化の波がおしよせ、人々の暮らし、価値観がどのように変化し、何がもたらされ、何が失われたのか。。。今、わたし達にとって本当に大切なこと、暮らし方、意識はどんなところかを考えさせられるドキュメンタリー映画でした。



わたしは大学の卒論で、「カラハリ砂漠のブッシュマンの近代化」をテーマに書いた事を思い出しましたが、それを書いた頃のわたしは、今感じているほどに、身近で現在も進行中の鮮明で生々しい問題としてそれらを想像していませんでした。

でも今、311の震災を体験し、収束するどころか先の見えない原発の脅威を受け続ける状況の中で、自分達の生活、価値観、意識、を今一度見直し、持続的な未来を想像していくには、自分たちがどう在るべきかを模索する時期に来ている。。というか、後のない最終審判の時を迎えているように感じます。

そんな中で、地元、国東半島(くにさき)で元々繋がりのあった仲間たち、震災後に放射能の影響を案じて越して来た新しい仲間たちと、「one earth 国東源帰(くにさきげんき)http://kunisakigenki.blogspot.com/」というカタチが出来上がりました☆

告知が遅くなりましたが、『国東源帰』は7月から10月頭にかけて、ドキュメンタリー映画の上映や、農プロジェクト、ワークショップ、トークライブ、yoga、などなど、いろんなイベントをしています。

わたしも「アロマで手作りコスメ教室」を9月24日に開きますが、告知はまたあらためて。。
そして、9月末から10月にかけて国東から祝島に渡る「美しい海ありがとうwalk」!こちらの告知もあらためます。。

秋。。。

いろんなところで起こっている美しい人たちの起こす風、大地と連動した動き、清い流れ、すべてが渦まく台風に巻きあげられ、天に昇り、ちょっと元気のない人、動物、大地に光となり降り注ぎますように☆☆☆

灯し上げ

マメにブログをアップしていこう!と意気込んでおりましたが、気がつくと一週間が過ぎ、「これ書こう!」と思ったことが積み重なってきてちょっと重たくなってきました。。
とりあえず、今日は近況をぱぱっと写真レポートし、告知したい重要事項は後にどんどんアップしていきます。

先月の30日から1日まで、四国に帰っていました。
そして、お盆の風習「とぼしあげ」というものに初めて参列しました。実家から30分の距離だけど、場所によって内容が違うんですね。うちの方ではお寺でしますが、ここでは、初盆の家々で、八月のはじめから紙で出来た灯ろうを仏壇に飾り(「とぼしはじめ」という)、8月31日に、近くの河原に集まって、お坊さんのお経と共に、灯ろうを一つ一つ燃やしていくようです(=とぼしあげ)

ちなみに、大分では灯ろうは燃やさないようです(私の知る限りなので、知っている方教えてください)


 各家庭から3メートルの竹の竿に灯ろうをつけて、河原までぞろぞろと歩いていきます。近所の方も道ばたで出迎えてくれていて、河原までついてくる方もいます。




 この日、30くらいの灯ろうが燃やされました。水の側で、火を燃やし、風に舞い天に昇る灰。そして、灰は土になったり、川に流れたり。。。とても、神聖で心地の良い行事でした。
今だからわかる、伝統的風習の素晴らしさ、美しさで、参加出来てとても良かったです。


畑の先輩、人生の先輩、大好きなおばあちゃんに畑を案内してもらいました。
きれいに草をとっている。。これもまたおばあちゃんの生き方を現わしているように思えて、そのことに称賛するのみでした。ちなみにうちは不耕機農に限りなく近い。。これもまたわたしの生き方☆